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High Tech & Low Life

アイダカズキの(主に小説用)ブログです

黒の日輪【1】行きずりの暴力

趙安国は今日の取引に満足していた。製造番号を削り落した業務用大型3Dプリンタと引き替えに入手した大量の軍用爆薬。何よりも素晴らしいのは、それで吹き飛ばされるのが同胞でない限り――いや、同胞であろうと趙の懐が一切痛むことはない、ということだ。やはり商売はこうでなくては。

それにしてもあいつら、ぺこぺこ頭を下げているわりにはもらえるものをきっちりもらっていきやがる――彼はそう考えて唇を歪めた。その癖、接待の席には俺の嫌いな四川料理を出してきやがる。馬鹿ではないんだろうがいまいち可愛げのない連中だ。この国は「もてなしの国」じゃなかったのか?

まあいい。奴らもこっちも堅気ではない以上、馬鹿と取引するよりはましな相手とわかったのは収穫だった。後は港湾局と税関関係者への「鼻薬」の量を間違えなければ万事抜かりなしだ。まったく面倒臭い話だが、この手の作業を怠ると奴ら、死肉に群がる魚のように食らいついてくる。

本当のカオスと化した祖国を捨て、この国に地盤を築く。それまでは慎重の上にも慎重を重ねる必要がある――趙はもう何度目になるかもわからない決意を確かめた。それに生き馬の目を抜く同胞に比べれば、この国の官憲は遥かに御しやすかった。奴らだって、俺たちが本物の狂犬になるのは嫌なんだ。

趙は旧友の金融業者が先週、グレネードランチャーで車ごと吹き飛ばされたことを思い出した。いい奴だったが、あいつは目立ちすぎた。どんな屈強な護衛を雇おうと、重火器や爆発物には勝てない。この国では臆病者ほど長生きするのだ。いや、それは俺の故郷でも同じだったか。

だから趙の乗車は外装よりも内装の方に金を掛けていたし、ボディからタイヤに至るまで全て防爆防弾仕様だ。趙の両脇で面白味のない仏頂面をしている2人の護衛は、人民解放軍から引き抜いた精鋭。戦車に乗ったところで100パーセント安心できない国では、このくらいの用心はしなければ。

まだまだこれからだ、次の取引に備えて休むためシートに身を埋めながら趙は思う。若い愛人を正式な妻にもでき、娘も生まれた。大きくなったら、外国人富裕層御用達のインターナショナル・スクールにも通わせてやりたい。俺のような苦労を味わわせないためにも。そのためにはもっと、もっと稼がなければ。

――打ち捨てられた無人の建築現場、車道を見下ろす最上階近くの足場から、一対の目がゆっくりと近づいてくる趙の車を捉えていた。

双眼鏡代わりに顔へ当てていたスマートグラスを懐にしまう。身に付けた幾つかの道具が所定の位置にあるかどうかを確かめる。それが終わった後でポケットから掌サイズの機器を取り出し、操作。そして、効果が出るのを待った。

次の取引までに少しでも睡眠を取ろうと目を閉じていた趙は、不審なものを感じ取って目を開けた。運転手の様子がおかしい。

「おい、道が違うんじゃないのか?」

「え、ええ、それが、さっきからハンドルの操作が……」

おかしなことが起きている、と趙は直感した。運転手はテロや襲撃に備えて趙自らが選び出した男だ。その腕を見込んで運転だけでなく車両整備全般を任せている。ただの故障ではない――

こいつはまさか――趙は必死にハンドルを操る運転手、その傍らに目をやる。悪い予感は的中した。カーナビゲーション用のディスプレイが不自然に明滅し、明らかに正規OSではない数列を走らせている。

「カーナビを切れ!GPS経由でハッキングされてるぞ!」

趙の警告は正しかったが、結果から言えば遅すぎた。車はとっくに車道を外れ、舗装すらろくにされていない砂利道をまっしぐらに突き進んでいた。運転手の必死の努力で土砂の山への正面衝突は免れたが、ほとんど減速せずに車は積まれた廃材を突き崩しながら止まった。

「社長、大丈夫ですか?」

「何とかな、しかし一体……」

趙の声は途中で凍りついた。趙のまさにその頭上に、どすっ、という重い音。誰かが車の屋根に飛び降りたのだ。

「誰だ!お前、悪戯にしてもほどが……」

怒声を上げようとした運転手が喉の奥でそれを引き攣らせた。フロントガラス一面にびしゃりと液体が浴びせられたのだ。白煙を上げてガラスが乳白色に変色していく。さらに重い鉄の塊が、がつん、とガラスに叩きつけられる音。

今度悲鳴を呑みこむのは趙の番だった。ライフル弾すら無効化する防弾ガラスが、蜘蛛の巣状にびしりとひび割れたのだ。続いて第二撃。フロントガラスが完全に割れ、外界の空気がどっと車内に吹きこんでくる。鈍く輝くボルトカッターの先端が車内に突き込まれ、運転手が堪え切れず悲鳴を上げる。

黒のグローブに包まれた巨大な掌が運転手の顔面を無造作に掴み、悲鳴を上げるのも構わず外に放り投げる。

「社長、動かないでください!」

護衛2人が躊躇わずホルスターから銃を抜き出す。左右それぞれのドアから素早く滑り出、車外の何者かに銃口を向ける。

「動くな!少しでも動いたら……」

――だが相手は動いた。それも護衛たちの予想を遥かに越える動きで。

一部始終を見ていたはずなのに、趙は自分の目が何を見ているのか理解できなかった。巨大な、小山めいて見えるほど巨大な影に向けて放たれた銃弾は、一発として目標を捉えなかった。二発、三発、放たれた銃弾は影を貫くことなく空しく宙に吸い込まれる。立て続けに撃とうとした護衛が、突然悲鳴を上げて拳銃を足元に取り落した。

銃のトリガーにかけていたはずの人差し指「だけ」が、嫌な方向に捻じ曲がっている。もう一人の護衛が必死の形相で銃口を向ける――巨大な影の腕が一閃した。彼の人差し指も枯れ枝のように容易くへし折れた。男二人の尾を引く絶叫。

趙は巨大な影の手にした「武器」にようやく気づいた。あれは――中国武術の「拐」だ。沖縄空手で呼ぶところのトンファー。硬い木の棒に握りをつけただけの単純な鈍器。しかし、そんなもので拳銃相手に、しかも戦闘訓練を受けた男二人を制圧したのか?まさか。

趙は悪夢を見ている気分だった。自慢の防弾防爆車は廃材の山にめり込んで停車し、大金を積んで雇った護衛二人は指をへし折られて泣き叫んでいる。そして目の前には――おかしな棒っきれを持った大男。これが悪夢でなくて何だ?

舐めるな――恐怖を、不条理さへの怒りが押し流した。護衛の忠告を忘れ、趙はドアを蹴破るように開き、護身用の拳銃を巨大な影の背に向けた。

「悪ふざけも大概にしやがれ、でかぶつ!そのまま地面に伏せろ!」

突然、目の前の巨大な背中がかき消えた――ように見えた。正確には、巨大な影が(そう、まさに趙に言われた通り)地に伏せ、趙の目がそれを追えなかっただけだ。そして一瞬後には、大きな掌が視界を覆い尽くしていた。

反則だ!――趙はまたしても悲鳴を上げそうになった。こんなでかぶつが、足音一つ立てず瞬く間に近づくなんて!――視界が一回転し、背中から受身も取れず砂利道に叩きつけられる。身を起こそうとした途端、趙の太股ほどもある腕が首に絡みついてきた。一瞬で呼吸が止まる。

気絶する寸前で解放された。咳き込み、口の中の砂利を吐き出そうとした途端、また顔面を掴まれ、玩具のように振り回される。胸から叩きつけられ、背中に膝が当てられる。全身の骨が砕けたような気分だった。身動きできない。

「畜生……何なんだお前?」

凄味を効かせたつもりが、喉から漏れたのは絶息寸前のあえぎ声だった。「サツじゃないなお前?日本人の一味か?さっきの取引が気に食わなかったのか?それとも同業者か?俺の商売が、お前の何を邪魔したってんだ?」

「どれも違う。聞きたいことがある」

意外に静かな声だった。静かで、そして若い声。

「お前は密売人だろう。核物質を売ったことは?」

「核物質……だと?」

「大量の濃縮ウラン。少なくとも小型戦術核が製造可能なだけの」

「お前……素人か?〈業界〉を知らない素人の分際で、俺を襲ったってのか?」

嘲笑おうとしたが、絞殺される寸前の犬のような情けないあえぎが漏れただけだった。「かつがれたな!核なんて売り物になるかよ!銃器やクスリ程度ならサツだってまだ目こぼししてくれるが、核なんて売ったら奴ら、全力で潰しに来るだろうが!幾ら金を積まれたって、売れねえものってのがこの世にあるんだ!」

「この地にはあらゆるものが集まってくる。金、人、物、情報、ありとあらゆるモノが。よき商売は、そこにある。だからお前も、ここに来たんだろう」

激昂も、暴力への狂熱も、趙を痛めつける愉悦すらない、穏やかな声が全身を粟立たせた。

「……よく聞け。17年前、沖縄、偽装核、『ネクタール』、HW」

呪文のように、声は静かに唱える。

「何だと……?」

「一つでもいい。今の言葉の中に思い当たるものがあったら言え。17年前、沖縄、偽装核、『ネクタール』、HW。これを最後の質問にしてやる」

「知るか、イカレ野郎!そんなに知りたきゃ、俺を殺して他の奴らから聞け!」

趙は声を限りに叫んだ。顔中が汗とも涙とも鼻水ともつかない液体でどろどろになるのを恥とも思わなかった。「お前の喜ぶようなことなんて、一つだって喋ってやるもんか!殺すなら殺せ!」

「とぼけるな。お前も〈業者〉なら東南アジア経由の武器密売ルートを知らないはずがないだろう。その中にいるはずだ、核物質を扱える奴が」

「言ったろう、俺はそんなもの売らないって!扱っている奴がいたって、そんなの知りたくもねえ!」

「……本当に、知らないのか」

背後の声に、初めて微かな困惑と失望が混じった。背にのしかかる重みが、ほんの少しだけ緩んだ。――今だ!

趙は全身の力を振り絞って跳ね起き、つんのめるようにして走った。再び地面に振り回されて叩きつけられることも、背後からあのトンファーで頭を一撃されることも、考えなかった。落ちていた拳銃を拾い上げ、獣のような唸り声を上げて振り向く。

銃口の先に、巨大な影はなかった。半壊した車と気絶した運転手、それに激痛に呻く護衛たちがいるだけだった。安堵と、それを上回る敗北感に、趙はへたへたと崩れ落ちた。

 

「武器の密売人ばかりを襲っている奴がいるらしい」

「何だそいつ。自殺にしてももうちっとは楽な方法があるだろ?」

「その手の狂犬の話も最近じゃ珍しいよね......それなりに統合と再分配はなされてるし、事業拡大が忙しくて全面抗争の余裕はないし」

「もっと訳がわからんことにはな、こいつは金にもブツにも興味がないらしい。襲って、叩きのめして、半殺しにしたところで、ただ質問するだけなんだとよ」

「質問?」

「……17年前、沖縄、偽装核、『ネクタール』、HW」

「あん?」

「襲われた奴らの言い分だが、そんな質問をするらしい。その中に聞き覚えのある言葉はあるか、だとよ」

「それしか聞かないのか?」

「それしか聞かないらしい」

「へえ……で、その話の笑う所、どのへん?」

「......なあ、その話、もう少し詳しく聞かせてくれないか?」

一人の男が微笑みながら言う。短く刈った頭髪、地味だが着心地の良さそうな麻のジャケット、綺麗に磨かれた靴。「『管理された混沌』の中じゃ、そういう本物のイカレ野郎の話を聞くのは稀でね」

 

――昏い輝きに満ちた物語が、今、静かに幕を開ける。