High Tech & Low Life

アイダカズキの(主に小説用)ブログです

犯罪工学の少女【プロローグ】朗読劇

夢の中で、私は5歳に戻っている。目隠しをされ、口に布を噛まされ、両手両足を椅子に固定された5歳の少女に。身をよじったが、手の縛めはびくともしない。不思議と恐怖は感じなかった――ただ頭の片隅で、おしっこに行きたくなった時困るな、とは思う。人を呼ぼうにも猿轡のせいで呻き声ぐらいしか出せそうにない。

左頬に熱と、空気の揺らめきを感じる。暖炉、だろうか。そうだ、時々何か――乾いた木が木が焦げる小さな音が、燃えてぱちりと弾ける音がする。それ以外に音は全くない。人の声も、電子音も、空調音すら聞こえない。防音設備の中にいるように、外を走る車のエンジン音や、雨風の音なども聞こえてこない。恐ろしく静かだ。

 

ドアの開く音、複数の靴音。私は身をすくめるが、足音の群れは無視するように目隠しされた私の前を素通りする。椅子を引く音、腰を下ろす微かな軋み。入室者たちは静寂そのものだった――何かの災いを恐れるように。話し声どころか咳一つ聞こえてこない。幽霊みたい、とちらりと思う。

「ヒトの情動はヒト自身が思っている以上に機械的なものである。人工知能の研究とは、すなわち人の思考をオブジェクト化する研究との同時進行でもあった」

いきなり誰かが口を開き、私は怖がる以前に面食らった。若くはないが歳を取りすぎてもいない、壮年の男性の声。私の父より少し年上ぐらいだろうか。

「良心や悪意、嘘や嫉妬といった『人間らしい』感情の大半は、実は大脳の生理運動で説明がついてしまう 。人間らしいか、そうでないかが重要なのではない。おそらくは『人間らしさ』という基準そのものが、そもそも信頼に値しないのだ。今日に至るまで世界の紛争は、経済格差と民族間抗争がその大半を占める。理解できない他者への恐怖とセキュリティ意識の暴走、と言い換えてもよい――だがしかし、己が苦痛をそっくりそのまま他人に転写できる技術が産み出された暁には、その時こそ地上は、生きとし生ける者の腸から引き千切った悲鳴で溢れ返ることだろう」

かさり、という微かな音が聞こえた。紙束をめくる音だ。紙に書いた文章をそのまま朗読しているらしい。私に読み聞かせているのだろうか?しかしその声には、紙の上の文字を読むという以上の意志を全く感じ取ることができなかった。悪意さえも。

 「自然から切り離された人間はもはや野外では生きていけない。一定数以上に膨れ上がった集団は、必ず都市を指向する」

今度は私の母よりずっと若い女性の声。また、かさり、と紙束をめくる音。

 「ヒトは都市に縛られ、都市はヒトを歪め作り変える。オブジェクト指向に突き動かされる母集団の人口比率を操作することにより都市そのものを操作することは、困難ではあるが、不可能ではない。彼ら彼女らは誰かに命じられるまでもなく断崖絶壁へ向けて行進を始めるだろう――強制されたわけではない、これはまごうことなき『私』の選択だと思い込みながら。〈ハーメルンの笛吹き男〉に導かれる、鼠の大群のように」

アラン・チューリングは『考える機械』を創造し、ヴァニヴァー・ブッシュは機械による人の知能増大を提唱した」

さらに別の声、若い男の声。

 「森羅万象をシミュレートできる装置は存在しない――ただしそれは現時点では存在しないということであり、永遠に否定し得るものではない。その誕生の時こそ、我々はデジタル的思考とアナログ的発想を並列しうる非ノイマン型コンピュータの登場を、真の意味でのデウス・エクス・マキナ、『機械仕掛けの神』を目の当たりにするのかも知れない。もっともそれはヒトが――今だに『知性』の何たるかを完全に定義しきれていないヒトが、それを理解できるかどうかは、また別の話だ」

最後の声の主が口を閉じるのとほぼ同時に、複数の人数が立ち上がる音が聞こえた。紙をまとめ、端をそろえる音。置物を動かす音。暖炉に紙の束を投げ込むばさばさという音。掃除機を絨毯にかける音も聞こえる――それから足音の群れは再び私の前を横切り、一言も発せずドアを開けて部屋を出て行った。

目隠しを透かして、部屋の照明が消えたことを知る。

暖炉の火も落とされたのか、室内がしんと冷えてきた。

5歳の私は暗闇に残される。

 

夢はそこで終わり、私は見慣れた自室の天井を見つめる。かざした手に目の焦点を合わせることに苦労する。私は夢を見ていたことを知り、そしてすぐ、あれが夢でなかったことを思い出す。

 

あれがただの夢だったら。

私の人生は、どのようなものになっていたのだろう?