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High Tech & Low Life

アイダカズキの(主に小説用)ブログです

幕間・新しい街で生きるということ

小説 幕間 未真名市素描

そもそもお前は、とハンドルを握りながら崇は口を開いた。「どうしてこの街に来たんだ?その何某さんとやらの死の原因がここにあると、どうやって突き止めた?」

「17年前からの逆算」それだけ言うのに、少し時間がかかった。「沖縄で戦術核を用いたテロが発生し、海の向こうで動乱が起きたあの年、膨大な人と金と物流の移動が生じた。堅気も――そうじゃない連中も。一夜で落ちぶれた奴も、一夜にして名を挙げた奴もいる。その中でも沖縄に拠点を置き、なおかつ17年前以降に勢力を増している指定暴力団体をピックアップした。大陸や半島からの武器や麻薬ルートが特に太い団体となると、さらに限られる。どれもここ数年で未真名市に進出していた。人も、金も......奴らが何だってこの街をパラダイスと思い込んだのか俺にはさっぱりわからないが、とにかく膨大な量が流れ込んでいる。後は、根気の問題だった」

横を見ると、崇の口が半開きになっていた。「どうした?」

「どうしたもこうしたもねえよ。それを一人で割り出しやがったのか......末恐ろしい餓鬼だ」

「一人じゃない。金も人も使った」

「金と人を使ったって、的外れじゃ意味がねえ。自分の命を懸けてよくやるよまったく......」

首をすくめた後で、崇は口調を改めた。「だがお前の荒っぽいやり口も、それはそれで効果的だったみたいだな。何しろいきなりイスラエルが出てきたんだぞ。宝くじで当たった河豚に当たるくらいの確率だろ」

「死にかけた上に大した手がかりも掴み損なったけどな」

「そう悲観したもんでもねえ。ただこれから先は――もう少し注意深くやる必要はある。もっとも、そりゃ明日以降の話だ」

落ちかけていた日が視界から遮られた。車が地下駐車場に滑り込んだのだ。

 

「今日からここに住め」

言われて、龍一は面食らった。車が着いた先は未真名市中央駅から徒歩十分ほど、五階建ての小奇麗なオートロック式マンションだった。クローゼットや作業用デスク、冷蔵庫など一通りの調度品は揃っている。床はフローリング。壁紙やカーテンの色も落ち着いた上品な色合いだ。

「俺、金ないよ」

「当面の生活費はご当主が負担するそうだ」そんなもの期待してない、と言わんばかりの答えだった。「家賃は口座引き落としにしてあるから管理人と顔を合わせる必要もない。市民税や健康保険税も同じ口座から差し引かれるが、余った金は好きに使っていい。どうせ何かと要りようになるからな」

帰り際に崇はマンションの鍵と免許証(もちろん偽造だ――言われなければわからないほどに精巧な)、真新しいスマートフォン、それにメモリースティックを手渡した。

「これは?」

「警察の捜査資料」崇は事もなげに言った。「出所は聞くなよ――俺もご当主も困る」

龍一は頷いた。崇にも百合子にも、迷惑をかける気はなかった。

龍一の顔をちらりと見て、崇は続けた。「いずれご当主はまたお前を呼び出すが、それまでお前が何をしようと自由だ。まあ言われるまでもなく、お前は遊び呆けるつもりもないだろうがな......」

崇が帰ってから、龍一は室内を改めて見回した。貸しコンテナや安物のビジネスホテルに泊まり慣れた身では、室内の調度は眩いばかりだった。クローゼットを開けるとラフな部屋着から冠婚葬祭のためのスーツ一揃い、男物の下着まで見つかった。おまけにサイズまでぴったりだった。まさか百合子が直接手配したわけでもないだろうが、何となく顔が赤くなってしまった。

デスクの上の端末を立ち上げ、渡されたメモリースティックを読み込ませる。電書化された供述書、音声や動画ファイル、それに――どこかの企業の決算報告書らしい数列やグラフ。「複製厳禁」などの文字列を見るに、警察の資料というのは噓ではないらしい。それを龍一に手渡して、崇は、そして百合子は何をしようというのか。

それはまだわからない。だが試されている、と同時に、信頼もされている、という気がした。警察に駆け込むなどはそれこそ論外であり――そもそも、これを持ち逃げしたところで龍一には何のメリットもないのだ。

文章やファイルはかなり量が多く、解読には時間がかかりそうだった(そもそもこれが何なのかろくに説明もされていない)。一眠りしてからにしよう――そう決めると急に眠くなってきた。考えてみれば、殺されかけてから十何時間も休息を取っていないのだ。

今日は戻ってこられないかも知れない、その覚悟で出発したところが思いもかけず住処を確保してしまった。それにおかしみを感じないでもなかった。糊の利いた、利きすぎでさえあるベッドに身を横たえた。初めての寝床で初めて見る天井を見上げた途端、睡魔が襲ってきた。

 

夢を見た。

人と言わず、服と言わず、金属と言わず、見るものすべての上を赤黒い炎が這い回っていた。燃える炎の向こうに、かろうじて人に似せたような、異形の影が幾つも揺らめいていた。

 

見覚えのない天井に目の焦点を合わせるまで十数秒を要した。

全力疾走の後のように全身が汗まみれになっていた。濡れて貼りついた下着の感触が気色悪い。籠に衣類を放り込んで全裸になり、シャワールームで冷たい湯と熱い湯を交互に浴びた。

身体を拭き、真新しい下着に着替えた。そして端末であのメモリースティックの解読を続け、そのまま朝まで一睡もしなかった。

 

明け方、渡されたスマートフォンが振動した。崇からだった。

【起きてるか?】

「ああ」

【話がある。出てこい。駅の方のコンビニで待ってる】

返答も待たず切れた。龍一が逆らう可能性など考慮すらしていないような口調だった。むっとはしたが、実際断る理由もなかった。手頃な服を見つけて支度し、部屋を出た。

人々が学校や職場に向かい始める時間帯だった。背のランドセルを鳴らした小学生たちが龍一を追い越してエレベーターの方に走っていき、ゴミ袋を持った若い女性がすれ違いながら会釈した。目の前のドアから勢いよく走り出てきた制服姿の女学生に「ごめんなさい」と謝られ、玄関で朝の散歩から帰ってきた上品そうな老夫婦に挨拶された。

すっかり昇った朝日に龍一は目を細めた。駅の方角へ歩きながら、公園が一つとスーパーが一つあることに気づいた。しばらく腰を落ち着けるなら住みやすそうなところだ、と思った。手頃な定食屋でもあればもっといいのだが。

 昨日とは違うパールホワイトの塗装がまばゆい自家用車がコンビニの駐車場に停めてあった。傍らで崇が「よう」と言いながらひらりと掌を見せた。

 「あれはどこまで読んだ?」車を滑らかに発進させると同時に、崇が口を開いた。

「全部読んだ。内容も頭に入れた」

「ほう」ハンドルの操作に淀みこそなかったが、崇が一瞬、ちらりとこちらを見た気がした。

「何がわかった?」

「『カドゥケウス財団』という名前が何度か出てきた。北米系の医療産業複合体だったと思うが」

 「そうだ。ITOHブレインテック、小川ヘルスケア、SATOメディカルラボ、篠田化成、高村ナノファブリカ......ま、とにかくここ数年で急上昇している医療関連企業はどれもその肝煎りだし、それを言うなら未真名市自体が財団や財団傘下企業の『城下町』みたいなもんだ」

 「そうだったのか。俺はひたすら金の流れる先を見続けてきたから、この街の成り立ちまでは頭が回らなかった」

「じゃ、今からでも遅くはないから注意を向けるようにしろ。会社ってのは、森のきのこみたいに生えてくるわけじゃないからな」

朝の光を浴びた街が色づき、息をし始めていた。眠そうな目でバスに乗り込んでいく学生たち、走る自律自動車の中で仮眠を取っている営業マン。崇の運転はそれらの脇を滑らかに通り過ぎる。

「あの年から十数年、歴史の一大イベントとは無縁だった鄙びた港町に膨大なリソースが裂かれ、一大産業都市に生まれ変わらせた......今じゃ日本有数の一大産業都市、政令指定都市でもある」

「その中にちょっとばかり後ろ暗い金の流れがあったところで誰も気に留めない......企業は喜ぶ、市民は喜ぶ、財団は喜ぶ。じゃいいじゃないか、って話だな。何だ、俺は邪魔者かよ」

すねるなよ、と崇はちらりと笑った。「そうだな。問題は、奴らが後ろ暗い『何か』に手を出しているからって、誰もそれが暴かれるのを望んでないってことだ。財団理事が未真名市警察署長の前でパンツを下ろしでもしないかぎり、逮捕は無理だろうな......それにお前も気づいているとは思うが、ご当主の目的は社会的制裁じゃない」

龍一は頷いた。「それで?これから何をすればいい?」

崇はまた薄く笑った。「朝飯はまだだろ?食いながらそれを詰めようじゃないか。この近くに旨い朝粥を食わせる店があってな」