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High Tech & Low Life

アイダカズキの(主に小説用)ブログです

犯罪工学の少女【2】狩る者たち

アカデメイア・コムリンク企画6課の藤松室長ですね? 少々お時間をいただけますか?」

「そうだが、何だね君は?」車に乗り込もうとしていたところを振り向いた男は、リムレスの眼鏡越しに望月崇へ胡乱そうな目を向けた。「君は雑誌記者か? 取材だったら受付を通してくれないか。こんな駐車場で話せることは何もない」

「いや、失礼――受付を通されるとそちらが困るんじゃないか、と愚考しましてね。ほらどうです、よく撮れてるでしょ?」

崇はこれみよがしに、二枚の指で挟んだ写真をひらりと振ってみせた。「お顔に似合わず、なかなかご立派な一物をお持ちじゃないですか。相手の坊や、どう見ても一番下の息子さんより年下ですよねえ。4つですか? それとも5つ?」

「き、貴様、それをどこで手に入れた……!」

肉体労働とは縁のなさそうな、どちらかと言えば色白で細面の顔が赤黒く染まる様は、なかなかに――少なくとも、背後の柱の陰に身を隠す相良龍一にとっては――見ものだった。

「金か? 金が目当てなのか? いくら欲しいんだ?」焦りを隠せない様子ながらも、徐々にだが駐車場監視カメラからの死角に移動しつつある。頭は悪くない――だがその回転の速さは崇にとっても、そして龍一にとっても、完全な空回りだった。この窮地はその回転速度こそがもたらしたものだというのに。

「何ならこの場で、1千万でも2千万でも小切手を切っていただきましょうか? ……やだなあ、そんなことしたら脅迫罪になっちまうじゃないですか。ただ……」

その言葉を合図に、龍一は男の背後から組み付いた。手首と肘の急所を的確に決めてしまえば、決して力では振りほどけない。力比べになったとしても、龍一の腕を跳ねのけられる者などそうはいない。

拘束バンドで手首を縛るまでに半秒。前方の崇が叫ぼうとした口にボールギャグを突っ込み固定するまでに半秒。リムレスの眼鏡を弾き飛ばし、上下の瞼を閉じられないようにクリップで固定してしまうのにもう半秒。

「ただこちらの箱を、ちっとの間、覗いているだけでいいんですよ」崇は悪戯っぽく笑いながら、呻いている男の顔面に金属製の箱を近づける。「大丈夫ですよ。目ん玉が乾かないように、後ろのでかい奴がちゃんと目薬を差してくれますからね。ほら、『時計じかけのオレンジ』って映画、ご存じでしょ?」

 

「お疲れ」

「言われた場所に転がしてきた。運が良けりゃお漏らしする前に助けてもらえるだろ」助手席に滑り込んだ龍一は肩をごきりと鳴らした。「じゃ俺、一仕事したからもう帰っていいか」

「馬鹿言ってんじゃねえ、ふん縛られて呻いているおっさんに目薬差すだけの誰にでもできる簡単なお仕事だろ」藤松から奪ったスマートフォンを操作していた崇は、思い出したように懐から写真を取り出し、龍一に投げた。「そうだ、もう使わないから、これでも見てほっこりしろよ」

「……何だこれ?」

「見ての通り、母豚のお乳を無心に吸う仔豚ちゃんたちだよ。『ハンマーを持つ者には、何でも釘に見える』んだ。覚えておけ」

「こんなもんでびびるなんて、あのおっさんも気の毒に……」

「良心なんざこれっぽっちも痛まねえな。インサイダー取引やら、指定暴力団の『黒い』投資ファンド転がしやらで、さんざん甘い汁を吸ってきたんだ。たまには地獄の水も舐めた方が、人生に張りが出るだろうさ」崇はうそぶいてから、指先でくるくる回していた灰色の作業帽を目深にかぶった。「さ、次だ。まったく貧乏暇なしだな」

 

龍一が高塔百合子の、そして崇の元で――決して職業斡旋サイトには乗らない類の仕事を――働き始めてから、数か月が経った。

偽の身分を通して家賃と税金と保険料を払い、偽名義のクレジットカードで「仕事」に必要な道具などを買う。時間がある時は筋トレに精を出し、休憩時間には崇から渡された資料――おそらくは警察の内部情報――を読む(勉強を嫌がるお尋ね者は長生きしねえぞ、というのが崇の言い分だった)。

仕事の際は足の付かない「飛ばしの」携帯で依頼を受け――血を見るかどうかは「仕事」の内容にもよる――僻地の不法投棄場で、あるいは廃車処理場で使った車や道具を処分して元の生活に戻る。やっていること自体は、龍一が個人でやってきたことと変わりはなかった――むしろあまりの変わり映えのなさに呆れ返ったほどだった。ただ信じられないほどの金と手間をかけて、同じことをやっているだけだ。詳細なターゲットのスケジュールと移動経路、襲撃する建物の詳細な図面、スパイ映画顔負けのガジェットの数々、そして龍一たちの「暴れた」後をいつの間にか綺麗に片付ける、顔のない者たち。本当にスパイ映画の主人公になった気分だ。

「金と手間。それが肝心なんじゃねえか」崇は笑った。「その二つがそろわなきゃ、テロ屋だってボヤ一つ起こせねえんだからな」

見知らぬ誰かをぶちのめして、泥を吐かせる。どこぞの会合に殴り込んで、その場にある金も物品もすべて奪う――そのような行為の積み重ねが、果たして俺の目的の何につながるというのだろう、という疑念がよぎらないでもなかった。だが百合子は約束した――あなたの追うものには私も関心があります。私の仕事を手伝うことへの報酬を、その調査という形で払うことではどうでしょう? もちろん、高塔家の力の及ぶ限り、という条件でですが。

龍一にとってはその言葉だけで充分だったのだ。

 

昼なお暗い立体駐車場の薄暗がり、天井からの照明に舞う埃の粒を何となく見ていた龍一は、階下からのエンジン音で我に返った。傍らの崇が懐からストップウォッチを取り出す。

「時間通りだ。警備室は俺が押さえる。三分以内に終わらせろ。行け」

龍一は頷き、足音もなく柱の陰から滑り出た。顔認証ソフトを欺くための特殊メイクで顔のあちこちが突っ張っている。子供騙しみたいな原理だが、通じるところには通じるらしい。この複合ビルのセキュリティカメラは設備の老朽化と人員の高齢化により、数世代前の顔認証システムを未だに更新できていない。崇がここを襲撃地点に選んだ理由の一つだ。

白のワンボックスカーがゆっくりと階下から昇ってきた。目玉のように光るヘッドライトが自分を照らす寸前、龍一は握り込んでいた金属の円盤を投擲した。

円盤はカーリングのように床を滑り、車の真下に達した瞬間、磁力で車の底部に張り付いた。何かが弾け割れるような鋭い帯電音、金属と樹脂が焦げる異臭。車はゆるゆると速度を落とし、傍らの柱に衝突して鈍い音を立てて停まった。

運転席が勢いよく開き、頭から血を流した革ジャン姿の若い男が転がり出てきた。何が起こっているか理解できていない様子だったが、それでも懐から何かを取り出そうとしている。刃物か、それとも飛び道具か――もちろん龍一は確かめる前に一歩で距離を詰め、二歩目で右肘を男の腹に深々と突き刺した。げっ、と呻いて身を折る男の後頭部に左肘を落とし、気絶させる。

 背後から崇が走り寄ってきた。片手のストップウォッチを停止させ、反対側の手で小型の拳銃を構える。これ見よがしに銃口を振った――龍一にではなく、車内の人間にだった。

後部座席のスライドドアが開き、現れたのはもつれた髪に無精髭、Tシャツ短パン姿の、龍一と同じくらい若い男だった。若いどころか、ほとんど少年だ。

銃口を見るとさすがにぎょっとしたが、やがて諦めたように両手をおざなりに上げてみせた。「あーあ、いつかはこういう日が来ると思ってたよ......ここを嗅ぎつけられたってことは、藤松さんの身柄も押さえたんだね。もう始末したの?」

「死んじゃいない。出社可能な状態じゃないけどな」崇は含み笑いした。「お前の頭を『処刑スタイル』でぶち抜くのは俺たちの仕事じゃない――少なくとも今はな。ただちょっとばかり、商売道具を見せてほしいんだが」

若い男は肩をすくめた。「いいよ。否応もないしね」

後部座席を覗き込むなり、崇は唸った。「こいつは......すごいな」

龍一も背後から車内を伺ったが、大型の違法改造らしき無線機と数台のモニター、それに空間を埋め尽くす意図不明な電子機器しか見えなかった。

「偽装してあるけど、表におっ立てたアンテナは指向性だな。移動ハッキング局かよ」崇の目がぎらぎらと輝いている。この男の癖で、面白そうな「おもちゃ」に興味を示さずにはいられないのだ。「道理で、アクセスポイントを突き止めるのに苦労したぜ」

「これで官庁街やオフィス街を走り回ると、けっこうおいしい情報が拾えるんだ。薬害が発覚して慌てふためいた製薬会社の重役連の揉み消し指示とか、IT企業の社長が女子社員に寄越す、ちょっと表沙汰にできない粘着気味のメールとかね」

まるで自分が褒められたように若い男は上機嫌だった。「いい歳したおっさんに限って、相当重要な新製品の発表スケジュールや製造施設みたいな機密データをネットでやり取りしてるから、それを引っこ抜くだけでも充分美味しいんだ。藤松さんもそれを使ってずいぶん荒稼ぎしたみたいだね。車代と機材費差し引いても安い買い物だって喜んでいたけど」

ぼろい商売だ、と崇は何がしかの感慨を覚えたような口調で言った。「欲しがる奴は山ほどいそうだな......しかし警察のサイバー犯罪対策課だって馬鹿じゃねえし、ハッキングは未成年でも重罪だぞ」

「その時はその時さ――修正パッチのやり方もろくに知らないおじさん社員とか、スマホのパスワードも店で買った時から替えてない馬鹿なOLとか、『踏み台』には事欠かないしね」

「この悪党がよ」

「銃を突きつける人に言われたくないけどね」

「銃ってこれのことかい?」

崇は引き金を引いた――水が男の顔面を直撃し、男は盛大にむせた。「ひどいな! 本物じゃなかったのか!」

「本物に見えたろ? なら充分だろうが」

崇と男はそろって笑い出し、龍一はだんだん腹が立ってきた――何だこいつら、初対面だってのに馴れ合いやがって。

男は顔をぬぐいながら、初めて龍一の方を見た。「そっちの強そうなお兄さんは、あまり面白くなさそうだね」

「ああ、何せ新入りでな。『遊ぶ』ことの高みと歓びを知らないんだ」

興味深そうな目で見られた。「確かに、ハッキングなんて趣味じゃなさそうだよね。どう見ても一人一殺のヒットマンタイプって顔だ」

余計なお世話だ、と思ったが口には出さなかった。

「それにしても君のさっきの動き、すごかったね。カポエラ? シラット? まさか八極拳じゃないよね?」

「詮索はそこまでにしときな」崇は藤松のスマートフォンを機器に接続してロックを外し、サーバー内のデータを吸い出し始めた。「さ、そろそろこっちの車に乗ってくれ。お前さんの『エスコート』も依頼の一環でな」

「まあ、そうだろうね......あ、その前に運び出せる機材は持って行っていいだろ、結構高......」

龍一は彼の言葉を待たず、取り出した水筒の蓋を開けて中身を機材の山にぶち撒けた。盛大な白煙が起こり、モニターとサーバー群が水飴のように溶け崩れた。

何とも言えない顔で見返す男に、龍一は肩をすくめてみせた。「悪い、手が滑った」

 

崇が車の速度を落とすと、若い男は怪訝そうな顔になった。「ここが僕の処刑場なのかい? 血で汚すのがもったいないくらい煌びやかな場所だけど」

「いんや、間違っちゃいないよ。ここが終点だよ、イルハングループ総帥の三男坊、イ・スンシンさん」

若い男の顔が緊張したのは崇の言葉か、それとも『ホテル・エスタンシア』の正面玄関から現れた黒服の男たちを目にしてか。黒服たちは靴音が聞こえてきそうな正確な歩調で車に近づき、若い男の前で恭しく頭を下げた。「お迎えに上がりました」

「さ、ネバーランドの探検はここで終わりだよ。帰った帰った」

若い男は笑おうとしたようだったが、実際に口から漏れたのは溜め息だった。「何だ、君たちも人が悪いなあ。全部父さんの掌の上かよ......」

「そう悲観したものでもない。こんな調査、探偵どころか警察だってぶるっちまって引き受けないからな。少なくとも御父上の肝は二、三度ほど冷えたと思うぜ」

「なあ、俺が言うのも何だが、ヤバい商売に首を突っ込まずに済むんならそれに越したことはないんじゃないのか」言おうか迷ったが、やはり龍一は言わずにいられなかった。「俺はこの仕事を恥じるつもりはないけど、誇りたくもないんだ」

「偉大すぎる父親を持てば、君の意見も変わるよ......」スンシンはどこか寂し気に笑った。終始飄然とした彼が初めて見せる顔だった。「とは言え、君の言ったことは検討しておくよ。ありがとう」

 

「あの坊ちゃん、これで懲りてくれるかな......?」

「どうかな。第一お前だって懲りないじゃないか。自覚がありゃいいってもんじゃねえぞ」

「言うなよ」龍一は顔をしかめた。いつになく感傷的になっていた。あの男の父親に対する屈託に触れたせいかも知れない。

「ま、これで本日の作業は終了だ。後片付けは勘弁してやるから、帰って休めよ」

「ありがとう、そうす......」緩みかけた背中が、龍一自身にもわからない理由で緊張した。

「どうした?」

「......まただ」

また、誰かが俺を見ている。

 

「......ようやく見つけた」

笑いの形に緩めた唇に、少女は指を当てた。「やっぱりあなたが絡むと、未来予測は困難になるみたい――でも、それはあなたの存在を抜きにして私の望みは実現不可能、ということよね」

ディスプレイの中の龍一に向け、少女は小首を傾げる。「私を知らない、私が知っているあなた。あなたはどこから来たの? 何をするためにこの街に現れたの?」

別ウィンドウの画像を指先で軽く弾く。履歴書のスキャンデータ。荒い粒子の、今よりもずっと痩せて顔色の悪い龍一の写真。

「ネットの海のどこを探しても落ちていない、あなたの『空白の一年』に何があったのかしら?」